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2006年4月

2006年4月27日 (木)

チェルノブイリ原発事故から20年

 原子力発電史上最悪の惨事となった、旧ソ連チェルノブイリ原子力発電事故から20年が経ちました。
 私は、生活クラブ生協組合員暦が25年になります。20年前の事故後、はるか日本まで放射能の灰が届き、生協の「わたらい茶」も汚染されました。
そこで、お茶は全量回収され、原発事故の教訓としてビンにつめ、保存したことを思い出しました。

 また、ベラルーシの被爆した子ども達を、1回に4人から6人を転地療養として日本に呼び、家を借りての共同生活やホームステイというかたちで、支援の活動も行なわれました。その子供達も30歳近くになっているでしょう。

 事故から20年経った今でも、強い放射線が出ていて、長時間浴びると健康被害の恐れがあるということで、住民は家に帰れないでいるようです。
また、保証は甲状腺がんのみで、白血病や心臓病などで死亡する人が多くなっているのに、その因果関係は認められないとして、国の補償が受けられないという報道もありました。

 事故後、ドイツなどでは脱原発政策がとられ始めましたが、ロシアでは事故の教訓が生かされず、今だ同じ型の原発が稼動している状況もあります。
狭い日本で地震が起き、大事故にでもなったらと思うと・・・・・

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2006年4月22日 (土)

ベトナム旅行記 その1

 4月17日から21日まで、以前から行きたかった人口約8200万人のベトナムに行ってきました。日本語学科をでて流暢な日本語を話す青年ガイドに案内してもらいました。

 今回はベトナムの政治、文化の中心都市ハノイを中心に、陶磁器のバチャン村、自然保護区バンロン、世界遺産ハロン湾など訪れました。
ハノイは11世紀からの歴史を持つ古都で、由緒ある寺社やフランス統治時代に建てられた洋館や教会も多く、また公園や湖が多く美しいまちでした。

・戦争と政治、経済
 ベトナムは、中国、フランス、日本など侵略を受け、そしてさらにアメリカ(ケネディ大統領)の本格的軍事介入で、南北の対立が激化するベトナム戦争が長らく続いた。
無差別攻撃での枯葉剤攻撃、毒ガス弾での記憶は生々しく、アメリカでも反戦運動、日本でべ平連などが反対を訴えた。
サイゴン没落、1976年統一国会が開かれ、ベトナム社会主義共和国となり、共産党が実権を握った。
Betonamu1 国会はあるが、5年ごとの共産党大会が国家運営を決定する最高機関となっている。ちょうど着いた4月17日から2006年の第10回共産党大会が開催されていた。そのため街の民家の家々にベトナムの赤地に黄色の星のベトナム国旗と共産党旗が外に掲げられていた。

 統一後、市場経済を否定する教条的社主義政策から、第6回共産党大会でドイモイ(刷新)政策といわれる改革路線がだされ、政治は社会主義、経済は資本主義の国となる。
政治面の統制は厳しく、共産党以外の政党の存在は一切許されないようで、ガイドさんに聞くと一度そのような動きはあったが、すぐ鎮圧されてしまったとの事。
政治の腐敗、汚職もあり、これからこの国の政治=市民の動きがどのようになっていくのか非常に関心がある。Betonamu2
 下の写真は、ベトナムの民族的英雄、”ホーおじさん”と尊敬されるホー・チ・ミン主席の遺体がガラスケースに安置されている、ホー・チ・ミン廟を訪問した時のもの。

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ベトナム旅行記 その2

・ベトナムの市場経済 押し寄せるバイクの波Betonamu3
 ハノイは信号が少なく、ものすごい数のバイク、車(さほど多くない)、自転車が無秩序にクラクションを鳴らしながら走りぬける様子はすざまじい。
交通ルールがあるようなないような?暗黙のルールーがあるがごとく以外にもスムーズに流れる。
ヘルメットなし、二人乗りOK、アヒルを100羽ぐらい積んだバイクも見た何でもあり。とってもおおらか?
排気ガスはすごく、マスク、スカーフで顔を覆っている人も多い。
信号がないこの道路を渡るのは、旅行者には決死の覚悟がいる。でもだんだん要領がわかり、急がず車を見ながらそれこそ暗雲の呼吸をマスター。
 バイクはホンダ、ヤマハが人気があり、2年分の給料をためて買い、一人一台ぐらいはあるのでは。
日本企業は、トヨタ、ホンダ、キャノン、富士通などの工場が進出している。Betonamu4

ハノイからちょっと郊外へでると、緑のじゅうたんを敷き詰めたような美しい田んぼが一面にあり、そこに水牛や牛を放し飼いにし、やせたアヒルが群れているのどかな田園風景。
大型トラックが土を運んで行き交い、そこは田んぼを埋め立て工業団地を造成している。これからさらに日本の企業などがベトナムに進出し、たんぼの景色も変わるうだろう。 Betonamu5

 ベトナムは農業国で、米は二期作でタイに次ぐ世界で第2位の輸出国、でもお米はやっぱり日本の米。コーヒーはアジア最大の生産国。スイカ、バナナ、マンゴなど果物も豊富でとってもおいしい。道でまた天秤に担いで、ベトナムのかさをかぶり売りに来ている。

 

 ベトナムはまだまだ発展途上国で、日本はベトナムにとって最大のODA援助国。
高速道路、橋の橋梁改良工事などが、日本のゼネコンによって建設されていた。ガイドさんに役に立っているか聞くと、経済発展のために高速道路は必要であり、ベトナムに関して日本のODA援助は有効のようだ。 Betonamu6

 

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ベトナム旅行記 その3

・屈託のないベトナムの子供達
 Betonamu7_1ベトナムの子供達は、とても人なつっこくて、明るく目がかわいい。
ベトナムでは義務教育制度はない。それは山岳民族が学校に行けないということかららしいがその理由は何かおかしい?教育費は国が半分、私費が半分だそうだ。
制度は、5.4.3.4年制度で、午前と午後の2部授業。子供達は午後は帰って家の手伝いをする。働き者で日本とは大違い。(こどもを取り巻く環境が違いすぎる) Betonamu8_1
 ベトナムは暑いので、夏休みが3ヶ月あり、あと旧正月休みが少しあるだけだそうだ。
高校生が自転車を連ね、下校しているところにも出合った。高校を卒業し、大学に行かない子は2年間の徴兵義務がある。大学生は徴兵免除となっている。
牛車に乗って通ると、小さな子が出て来て、手を振ってくれた 

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ベトナム旅行記 その4

・陶磁器や刺繍の村訪問
Betonamu11_1  ハノイ市街から約10キロ南東にある、陶磁器の村バチャン村を訪れた。
約600年ぐらい前から陶器作りが始まり、100軒ほどの工房があり、村の人口約5000人の9割が陶器作りをして、陶磁器の店もたくさん並んでいる。観光産業の一つになってしまって、量産されあまり魅力は感じなかった。

 アンホア(案和)村は、昔刺繍で栄えたが衰退し、そこに海外資本が目をつけ、今は海外の刺繍を請け負っている。
300軒ある内の70%が刺繍業を営んでいる。
Betonamu12 そこでなんと、元町のちかざわレースの製品がつくられていた。ベトナムでちかざわレースにお目にかかるとは思わなかった。日本からデザインを送り、そのとうりに手刺繍をする。
Betonamu13他にもスペインなどからの注文がある。安い工賃で使い、日本で何倍もの値段で売る。
WEショップをはじめ、フェアトレード(単に資金的援助をするのではなく、適正な価格で商品取引を継続することで、南の国々の持続的な生活向上を支えることを目指す援助)をますます応援したくなる。
Betonamu14_1 ベトナムの手刺繍はすばらしい。大きな観光ショップ内の一角に、何人もの若い子たちが刺繍をしていた。後で聞くと障がいを持った人達の就労の場所であった。

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ベトナム旅行記 その5

・ベトナムの大自然に抱かれてBetonamu20_1
  今回はベトナムの大自然を満喫した。
その一つは、バンロンという自然保護区になっている景勝地で、紅河の支流にある大きな石灰の奇岩渓谷を竹で編んだ手漕ぎのボートで、約一時間ほどボートトリップ。
Betonamu17_1 奇岩の中に洞窟もある。壮大な眺め、白鷺が舞い、かえるのなき声がどこからか聞こえる。こんな大自然の中にいると、小さい事はどうでもよくなる。感動!

Betonamu18_1

もう一つは、1994年ユネスコの世界遺産にもなったハロン湾。
ここもバンロンと同じに、海面から突き出した大小2000の奇岩がつくる幻想的な美しさ。
ハ=降りる、ロン=龍を意味する。昔、外的の侵略に悩まされていた地に龍の親子が降り立ち、敵を打ち破って宝玉を吹き出した。それが奇岩となって海からの外敵を防いだといわれているそうな。Betonamu21
バイチャイのターミナルから船に乗り、海から絶景を堪能し、シーフードを食す。
途中、水上生活者の船村があり、又漁師が海産物を売りに来て、そこで買って船で調理もしてくれる。果物なども船で売りに来る。
ここは今、ホテルの建設ラッシュでこれからさらに観光化されそう。

Betonamu19 奇岩の中に、たまたま漁師が見つけたという鍾乳洞があり、船を降りて急な階段を登っていく。その洞窟はライトアップされ幻想的な世界を漂わせている。Betonamu16

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ベトナム旅行記 その6

・シクロで街を散策と歴史旧跡
シクロに乗り、湖や公園の周り、市内を散策。Betonamu26
ゆったりとのどかだが、例の道路を渡るときなど、車がつっこんでくるようでスリリング感はたっぷりハノイ。排気ガスもたっぷり。

Betonamu25_2   写真に見える木の根元に塗ってある白いものは何かわかりますか。
これは防虫と街灯の役目として、街灯があまりないので、夜、歩道と車道の境がわかるように蛍光作用があるそうです。あちこちに見られ、ハノイの名物?

・最後に歴史名所をちょっと紹介Betonamu22
李朝の太宗が1049年に創建した寺で、一本の柱の上に仏堂を載せていることから一柱寺と呼ばれる。蓮華の上でこどもを抱いている観音菩薩の夢を見て、こどもが預かったのを感謝し建立。Betonamu23
古都ホアルー(市街地から北西に12キロ)にある、1010年にタンロン(現ハノイ)へ遷都されるまでの都。初代皇帝を祭ってある所。

ざあっと駆け足で、ベトナム旅行報告をしました。
ほんの一部ですが、写真をみて楽しんでいただければと思います。「ここは行った事がある」などコメントいただけるとうれしいです。
追記
 お土産にブリキ製のコーヒードリップを買ってきました。100円か200円くらい
ゆっくりとコーヒーができ、とても美味でした。

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2006年4月17日 (月)

横浜の都市再整備事業をひとめぐり

 担当しているまちづくり調整・都市整備常任委員会の視察で、みなとみらい地区の開発状況、横浜駅総合整備事業の進捗状況の視察に行ってきました。

Sisatu  MM21地区では、セガや日産本社ビルの建設が決まり、ホテル、マンション、娯楽施設、商業ビルなどの開発が進んでいる。住居施設については1万人までという計画ではあるが、何かコンセプトのないまちになってきている。
その中に、横浜F・マリノス拠点施設として、本社とグランド(天然芝・人工芝各2面)、そして練習や試合を観戦できる2000席のスタンド、店舗などが建設されている。
周りのビル群の中に、ひときわ緑の芝が美しかった。これからサッカー愛好者のみならず、市民交流の施設として、期待できそう。

 次に向かったのが横浜駅。
横浜駅は、現在1日延べ200万人を超える乗降客が利用する駅であり、これからさらに利用者が増えることが予想される。そのため、きた通路、みなみ通路など駅通路の一体化で回遊性を図る自由通路の整備を進めている。
この工事は、線路の下を掘り、通路をつくる大変な工事で、まず線路の下に仮受防護工事として桁架設を電車の通らない夜間に作業する。続いてその線路の地下を掘り、歩行者通路をつくる。

 工事現場に入るのに、ヘルメット、軍手、ジャンパー、長靴と完全装備、足場も悪く写真が撮れなかったのが残念。
平成19年に、全面完成予定とのこと。

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2006年4月16日 (日)

権力に歯止めをかけるのが憲法

 「戦争は絶対にしてはならない、正義のための戦争などありえない」と思っています。
4月13日、かながわNPO大学「憲法講座」に参加しました。講師は伊藤塾・塾長の伊藤真氏で、司法試験合格者輩出数で全国トップクラスの実績をあげ、カリスマ塾長として有名な方です。
憲法改正について本当にわかりやすく、話してくださいました。
「憲法とは、国家権力を制限して、国民の人権を保障するもので、国家に対する歯止めをかけるものであること。」それが今危うくなってきていると感じます。

 昨年9.11の衆議院選挙で圧勝した自民党は、自衛隊を自衛軍にかえ、国際貢献するためという目的で海外派兵を可能にする、改憲案でなく新憲法草案を出してきました。このことは、日本中の多くの人が危機感を持ちました。
今、憲法九条を守り、平和と安全を確保するための「九条の会」が広く立ち上がっています。
Kenpo_1  伊藤氏は、新憲法の制定は既存の憲法の価値を否定し、新たな憲法を構築することを主権者である国民は国会議員に与えていないし、国会議員は憲法99条(憲法尊重擁護の義務)違反であり、一種のクーデターともいえる行為であると言われた。
まったくそのとうりで、国会議員のおごりとしか言いようがない。

 世界一の軍事大国であるアメリカでも、9.11のテロを防ぐことはできなかった。かえって軍事力を持つことで、国民を危険にさらし、国民の生命や財産を守れないのは明らかです。
伊藤氏は、「現在の改憲論は単に国防や国際貢献という抽象的な目的ではない。アメリカの国際軍事戦略の中で、日本の軍隊がどのように利用されようとしているのか。現実を見る目を持たないと取り返しのつかないことになる。」とも言われている。

 「憲法は社会のあるべき姿を書いたもので、現実は追いついていないし、理想と食い違って当たり前、その理想に近づける努力が必要」と結ばれた。
まさにこれから国民の姿勢が問われていると言えます。 

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2006年4月12日 (水)

更なる日韓の友好を

 2002年日韓共催ワールドサッカーが開催され、日本中がサッカーブームに沸きました。この時に、ワールドカップは終わっても日韓の友好関係を深めようと2002年に「日韓友好横浜市会議員連盟」が結成されました。92人中61人の議員が参加しています。
私もその一員として、4月11日に行なわれた、総会とレセプションに出席しました。

Koria  今、小泉首相の靖国参拝問題もあり、政治的には関係性が難しい所もあリますが、市民レベルでの、経済、芸術・文化、スポーツ、NGO、生協などでの交流は盛んです。
又冬ソナなど韓流ブームもあリました。
一日に一万人以上の若者たちの交流もあると聞きました。

 レセプションでは、来賓として駐横浜大韓民国総領事 朴 鐘 吉吉氏(写真の方)をはじめ、在日本大韓民国民団の方々も多数出席されていました。
近くて遠い関係を打破して、近隣の国々との多文化共生社会を目指していくことが必要と感じました。

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2006年4月10日 (月)

生まれ育った環境が政策の根底にある

 前述の上大岡での「議員・候補者研修」を終え、地下鉄で戸塚駅まで出ました。
時間を見ると13時。午後の予定がなかったので、横須賀線に乗り実家のある北鎌倉へ向かいました。
 私の母は病気で、だんだん体力が落ちてきていますが、今は自宅で療養しています。
気にはなるのですが、見舞いになかなか行けないでいます。

 北鎌倉の駅に降りるといつもなぜかほっとし、肩の力が抜けます。そこには私を育んでくれた豊かな自然があります。昔よりはだいぶ少なくなりましたが・・・・・

 2003年候補者としてのメッセージにも「歴史ある美しいまち並や豊かな緑がしっかりと守られ、受け継がれているまち、一方人口急増で斜面緑地を利用したマンション建設、無秩序な開発で緑が失われている横浜。緑や良好な住環境を未来に残したい。」と書いている。
 そんな思いを実現するための緑地保全の運動、政策に取り組みます。

今、北鎌倉の山は本当に美しい。思わず携帯写真のシャッターを押しました。Photo_1

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市民の政治家集団・ネットワーク横浜

 ネットワーク横浜は地域政党としてこれまで、G30の始まる10年以上前からごみの分別、リサイクルの政策をはじめ、活動からの非営利市民事業、NPO政策、総合的な活動の実践に裏ずけられた分権政策など、時代を先取りした、大胆な発想を持って政策を提案してきました。
 社会運動を政策で解決するための地域政党と考えています。

 しかし今、どのくらいの人が地域政党ネットワーク横浜をご存知だろうか。
既成政党のように、連日新聞、TVなどマスコミに登場するわけでもない。だからネットワーク横浜の広報紙を配布し、HP、ブログを使っているのだが・・・・

 国政政党が判断基準になりがちな中で、いかに国の動向に左右されず、しがらみがなく、自由に且つ柔軟に市民のための地域政治を実践している、地域政党ネットワーク横浜をアピールできるか。

 そのためには、「わかりやすい政策」、「魅力ある候補者」をいかに市民の前に示せるかにかかっていると考えます。これから、2007年選挙に勝利し、ネットワーク横浜が今よりさらに強い、「市民の政治家集団」 になるよう活動を開始します。

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2006年4月 6日 (木)

野毛山公園整備のゆくえ

 横浜市在住の方は、西区にあります野毛山公園・動物園に一度は行かれたことがあると思います。私は鎌倉ですが幼稚園の遠足で○十年前に行った記憶があり、今も子どもたちの遠足のスッポットです。

 昨年2月にその野毛山公園の入り口付近にこんもりとした築山があり、その築山の樹齢70年ぐらいの古木(16本)が、全て根元から伐採される事件がおきました。
Bush1 その真相は、野毛地区の水道管交換工事のための資材置き場するため、水道局、環境創造局(当時緑政局)の現場のやり取りで、伐採を了承したようです。
私はこのことを3月3日の予算特別委員会で取り上げ「樹木を守る立場の局が、伐採を了承するとはどういうことか、他の方法が考えられなかったか、納得できるものではない等」ただしました。
その後、局は地域住民との話し合いの場を持ち、今後について検討することにしました。

 そして、現在計画されている野毛山公園整備事業の中で、この築山も考えることになりました。
 野毛山で育ち、こよなく愛している市民の方は大勢います。
そういう方たちは、野毛山をあまりいじらずそのまま、自然のままが一番いいんだと言う意見もあります。
そのような方たちから、伐採された築山の前に、「市の負の事業の証」としてプレートでも立てたらというてきびしい意見も出ているくらいです。

Bush2  築山は当初何とかして、駐車場スペースをつくりたい意向も市にはあったようですが、市民の声があり、今のままにしておくようです。
ただ市は、築山の周りを囲っている石済み(昔の工法)が、危機管理上問題があるとして改修する計画を持っています。一方市民側はそのままで大丈夫と言う意見も・・・・
そして、問題の築山を今後どうして行くか、そのままにし芽がでてくるのを待つか、別な木を植えるのかなどあります。

又公園内に階段があり、この階段が昔、馬が歩きやすいようにと段差も低く、不変則な階段でなんとも趣があります。この階段をお年寄りでも歩きやすいように整備すると言う市の案と、市民のそのままの意見の折衷案として、景観に合った手すりをつけるだけで十分ではと意見(私の意見)。市側と市民との綱引きが行なわれています。

 これから市民側も意見をまとめて(言い分を主張だけしててもだめ)、どこまで譲れるか、納得できるかを考え、市と話し合う必要があります。
市側も根気良く、意見交換(すでに3回開催)を開催しています。
時間がかかりますが、市民と一緒に考える姿勢は認め、私も少しでも納得のできる案ができるよう見守っていきます。

 

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2006年4月 3日 (月)

舞岡の森を守る活動始めました!

 4月2日、舞岡の森のすぐそばのマンション自治会主催の桜祭りに出かけ、「市民力で舞岡の森を守ろう」のチラシを配りました。

Maioka4 舞岡の森は3月27日に散策した時より一層色づき、美しい森になっていました。
このマンションの住人で、ネットワーク横浜のメンバーが祭りの中心的存在であり、また、ネットと関係の深い福祉クラブ生協が協力参加しています。舞岡中学のブラスバンド、明治学院大学のチアリーダーの出演もあり、近隣住人が大勢参加する盛況な桜祭りでした。

 舞岡の森を指して「あの山を守る運動をはじめますので]とチラシを渡すと、皆さん感触良く受け取ってくれます。「そうだ、やりましょう。」と賛同してくれる方、積極的に「署名集めます」といってくれる方等々。
とても良い手ごたえでした。元気をいただき、さあー活動開始です。

Maioka5_1  これからどのように運動を展開し、市民の力を結集していくか・・・
まずは、港北区菊名にある桜の森(通称カーボン山)をマンション業者から守り、公園にして管理も市民が行なっている「桜の森を守る会」の代表清水康二氏を、ネットワーク横浜・とつかサロンにお招きし、色々アドバイスを頂きます。
関心のある方、是非ご参加ください。

  4月15日(土) ネットワーク横浜・とつか事務所 14時~16時
           戸塚区上柏尾町132-3
          TEL 828-5024 FAX 828-5025
          ytotuka@yokohama.email.ne.jp
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