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2011年8月

2011年8月30日 (火)

シチリア島の港町 カタニア

8月25日には、イタリア南部の港町カタニアに入港。
P8260044以前に南イタリアには来ているので、今日はカタニアの街を楽しむ。
カタニアの街は港から歩いてすぐの所に広がり、街全体が数百年前の建築物にあふれ、伝統的な遺跡、すばらしい大聖堂があり何とも趣があって素晴らしい街。 P8250027
ゆっくりと時間が流れる。中央広場の裏手には地元の人たちが利用する市場があり、野菜、果物や魚、肉、チーズなど売っている店がたくさんあり、買い物客でにぎわっている。
チーズを買いたかったが重いので後にしようと思い、買わず夕方行ったらすっかり閉まっていて残念。
表通りはブランドの店などたくさんあるが、間口が狭く日本のように華やかなショウウインドウはないが、奥に入ると広、くおしゃれな商品が並び、さすがイタリア!
今50%、70%オフのお店も多く、より魅力的。P8250030
古い石畳の道を散策しながら、ジェラードやアイスクリームも味わう。
とってもおいしかったです!

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2011年8月26日 (金)

古代ギリシャ遺跡を巡る

8月23日、ギリシャのピレウスに入港。
ギリシャの首都アテネの外港として栄え、国内最大の港であり地中海でも五指に入る国際港で大型客船なども停泊していた。
いよいよユーロ―圏に入ってきた。
紀元前からの長い歴史を持つアテネは貴重な古代ギリシャ遺跡が多く大変興味深い。P8230028
ギリシャは初めてなので、まずは世界遺産にもなっているパルテノン神殿やそのほか遺跡があるアクロポリスの丘を訪ねる。
これまでの長い歴史の中、ビザンティン帝国やオスマントルコによる占領や攻撃が繰り返され、アクロポリスは略奪・破壊され今残っているのは屋根もなく太い柱がそびえ立ている神殿、でも重厚で歴史を感じさせる。また神殿まで上がるのに急な坂や階段を上がり、その道などは古い大理石のすべりやすい石畳になっていて、これも趣がある。
もう一つ有名なのが、エレクティオンと言われる神殿の柱として屋根を支える6体のコレ―(乙女)像。P8230023
残念がら1体はパルテノン神殿の彫像と一緒に大英博物館に略奪、残り5体も空気汚染で破損がひどいため複製と置き換え、現在はアクロポリス博物館に展示されてるとか。見たいが時間がない。
アテネの街はあちこちで遺跡が発掘されている。
また最初にオリンピックが開催された大理石でできている競技場やプラカの街を散策、1日停泊の短い時間に駆け足でアテネの街の一端に触れた。

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2011年8月24日 (水)

トルコ・イスタンブール散策

地中海気候でに日中は暑いが、日蔭に入るとさわやか。
8月20日と21日の2日間の停泊なので、以前にトルコには来ているので今回はイスタンブールの街をゆっくり散策。
今回のピースボート乗船者の最高齢が93歳の女性、そして2番目が90歳の男性で紀平さんという京都からこられた方。P8200016
お二人共90歳を過ぎてピースボートに乗ろうとする意欲には脱帽。
紀平さんとはたまたま朝と昼の食事が隣になり、イスタンブールをぶらぶらするとお話したらご一緒させてとおっしゃるので、二人でデートをすることになった。歩く速度はゆっくりだがしっかり歩かれる。
トラムに乗りたいとおっしゃるのでトラムに乗り、有名なブルーモスク、そしてグランドバザールのさわりを、昼食をしてアイスクリームやトルコチャイを楽しまれた。
私の父は94歳で旅行など無理なので、ちょっとした親孝行のつもりで。P8210030
2日目は勢力的に旧市街のエジプシャンバザールで買い物、海に出て取り立てシーフードの昼食をとり、新市街にトラムで行き散策、イスタンブールで一番古く美しいガラタタワーまで、トルコの大学生に途中まで案内してもらう。
塔の最上階は360度イスタンブールの街が眺望でき、停泊しているピースボートも見えた。P8210044
今はエレベーターがあり、レストランもあった。
トルコの人は親日的で、日本人の奥さんをもらっている人も多い。

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ドイツの大学院生と交流

ピースボートにはこれまで、中国の海洋大学の学生、南相馬市の中学生、そして今はドイツのチュービンゲン大学の21人の大学院生が乗船ています。
歴史上最悪の核事故の一つとして、すでに世界中に知られるようになった「フクシマ」は、ヨーロッパにも大きな影響を及ぼしました。
大学生はエネルギー政策など専門ではないようですが、まずは福島の事故によりドイツにもたらした原発の状況などの話を聞き、意見交換を行いました。
ドイツでは保守党と自由党が原発政策の延期を決めましたが、10年以上前から反原発政策で活動していた緑の党、社会民主党が事故を機に躍進し、政策革新が起こりすべての各発電所を廃止することが決まりました。
緑の党のある州で与党を取るなどの躍進は、やはり国民の強い反原発の意思が押し上げた結果です。
日本から遠いドイツで、反原発の大きなムーブメントが起きているのにも関わらず、当事者の日本では署名活動などの動きもあるが、日本のエネルギー政策を動かすようなうねりになっていないのはなぜなのか、逆に質問してみた。
メディアやNPOなどをサポートすることも重要だが、市民の意識を高めることが大事と、これが難しい。
これからしっかりと考え行動する市民を増やしていくことかな。
市民がつくる日本版「緑の党」の実現は・・・・・・・

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2011年8月20日 (土)

エジプトのピラミッド群を探訪

現在エジプトは革命により政治情勢が不安定で、モバラク元大統領の公判やデモなどがあるため、市内厳戒態勢がひかれている、と言ってもそんなに物々しくはないが。
そのためツアーも警察の先導でコンボイ(隊列)を組んで出発、バスにもポリスが同乗。P8170056
カイロから延々バスに乗ること3時間余り、街中からさほど遠くないところにギザの3大ピラミッドが出現。
ピラミッド群の背後に見えるビル街とのコントラストが、何とも面白い。
4850年前の最大のクフ王のサッカラ階段ピラミッド、息子のカフラー王のピラミッド、またその息子のメンカウラ王の3つのピラミッド群。
最大最古のピラミッドは痛みもひどく、現在修復中。P8170068
古代エジプト時代の最盛期ともいえる権威の象徴であり、それを守るようにスフィンクス像がそびえ立つ、この景色は一見の価値あり。
残念ながらお墓の中の調度品尚は盗掘され、今はイギリスの博物館にある。ガイドさんが返してほしいと言っていたがその通りだ。
ただ残念なのが、ピラミッド群の周りにいる多くの物売りの強引な行為に皆がっかり。P8170028
いきなり写真のようにターバンをかぶせて写真を撮らせ、お金を請求するらしいが、お金を払わず商売不成立。

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スエズ運河を航行

いよいよスエズ運河です。狭い運河をどうして大きな船が行き来するのか不思議でしたが、それがわかりました。
P8160005船は長さ180㎞の運河を10時間かけて通りますが、ビター湖という二つの湖で待機し、そこで交差をして一方通行で運行します。
運河の時だけ三人の専門のパイロットが乗船します。
この時は、普段は禁止になっている12階の最上階のデッキにも上がれるので、早朝から皆カメラを片手に運河クルーズを楽しみます。
P8160019両岸の景色が砂地だったり、運河と並行して走る電車が見えたり、一見リゾート地を思わせる風景があったりと楽しめます。
スエズ運河唯一の橋は、11年前に平和の橋として日本の支援で建設されました。

8月16日15時、予定より早くにエジプトの港、ポートサイドに到着。
ポートサイドの街をぶらり散策。港の周りも土産ものやさんがいっぱい。クレープのようなナンのような焼きたての皮に、チーズやビーフを包んだものと果物、マンゴ、リンゴ、プラムを買って船で食べました。
だいぶ船の食事にも飽きてきました。P8170023

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2011年8月18日 (木)

ヨルダンのぺトラ遺跡は圧巻

ヨルダンの首都アンマンから車で約3時間半のところに、世界遺産になっているぺトラ遺跡がある。
ぺトラは死海とアカバ湾の間にある渓谷にあり、ぺトラとはギリシャ語で崖を意味するそうで、色々な色をした砂岩の崖がそびえたっている。
歴史的には、紀元前1200年ごろからエドム人が、その後紀元前1世紀ごろナバテア人が居住し都市として栄えるが、その後ローマの将軍ポンペイウスの支配下になる。P8140070
狭い断崖の道、ところどころ石畳が残っていたり砂道を約2時間歩くと、そこに開けたのはエル・カズネ(宝物殿)と言われる壮大な石づくりの建造物。本当に素晴らしく言葉が出ない。
これはナワタイ人の王様アリタス四世の墓で、その後寺院としてあがめられたそうだ。高さ39m、幅25mで上から掘っていくそうだ。
ここに来るまでにも、あちこちに当時の有力者や金持ちだった人の墓らしき穴もある。P8140062
ほかにはローマ風のスタジアムなど見きれないほどの広大な広さで、3日間ぐらいかけてみる人もいるとか。
ぺトラ遺跡までの道には、馬やラクダ、馬車などもあり現地住民が観光客を乗せている。

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ピースボートの多才な水先案内人から

ピースボートで楽しみな企画の一つが、水先案内人と称する多方面で活躍の方々の講演です。
これまでも紹介してきましたが、今日はまずは田中優さん。
私の知っている田中さんは、未来バンクというNPO市民金融を運営され、市民バンクから色々問題提起されている人。
今回もお金が社会をアレンジするとして、省エネ家電の買い替えに融資することから、大勢の人が安全、確実、優位と思っている郵貯や財政投融資が役に立たないどころか、途上国の環境破壊事業や人々の人権侵害に使われている日本のODAや世界銀行に回っている話。
「ポスト3,11を生きるために」として、日本で今一番危険な原発それは加圧水型原子炉の玄海原発であり、もし事故が起こったら偏西風に乗って日本全域が汚染される可能性が高い。内部被爆として空気と食べ物に注意が必要であり、政府の食品放射能基準は甘すぎるとも。
そして田中さんが今年の秋に企画している「落ち葉プロジェクト」。
これは森の葉に多くの放射性物質がついているので、今年落葉した葉を集め焼却しコンクリートで固め埋めることで除染ができる。それを影響が少ない50代以上のボランティアを募り南相馬で行うとのこと。
田中さんは6回余りのの講演にデーターを駆使し、大変面白い。
そしてもう一人が鎌田慧さん。鎌田さんは新聞記者や雑誌記者を経て現在フリーのルポライターで、労働や原発の問題、教育などを現場を歩き、すごい調査力で取材されて問題提起されている。
鎌田さんはぼくとつとした語り口で、秋葉原事件から使い捨てられる若者たちの労働問題について、そして長い間全国を回り原発を巡る住民闘争や政治や金権力にまつわる問題、、今回の福島の事故について政府の対応を厳しく批判されている。 鎌田さんの本に「原発各地をまわった私の結論は、原発は民主主義の対極に存在する、ということであった。」と記されている。
9月に東京で大江健三郎さんらと反原発の大集会を企画されている。

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2011年8月16日 (火)

ヨルダン王国のパレスチナ難民キャンプへ

海賊の被害にも合わず、いよいよバブエルマンデム海峡を越え紅海に入ってきた。
デッキからの風は暑いが、いがいにさわやか。これからアラブ諸国のヨルダン、エジプト、トルコへと向かう。
8月13日にヨルダンの唯一の港、アカバ港に到着しそこからバスで延々約4時間半かけ、マダバ難民キャンプを訪問。P8130043
パレスチナ、イスラエルは日本からあまりにも遠く新聞報道などで知る程度でしたが、今回パレスチナの歴史や難民キャンプの人たちの生活事情など事前レクチャーを受け、この目で確かめてきました。
今回はちょうど年1回の断食月(ラマダン)で、日中は皆さん食事も水も飲まにということで、飲むときはそっと隠れるように飲むこと、そしてアラブの女性は肌を出さないので露出度の高い服装は避けることなど注意を受ける。
第一次大戦後、パレスチナはイギリスの委任統治領になりますが、その後ゆだねた国連のパレスチナ分割案を不服として、アラブとイスラエルの中東戦争へと突入。
イスラエルはアメリカの支援を経てパレスチナ全域を手中に治め、元々住んでいた住民は難民となって、アラブ諸国で生活しています。
祖国を追われ40年以上、キャンプと言ってもテントに住んでいるわけでもなく、商店もありアンマン郊外の街の一つにしか見えません。
しかし、1968年の創設以来2世、3世と人口が増えているにもかかわらず、同じ敷地内での生活を強いられています。ヨルダン国民の7割がパレスチナ人のため、納税は一律にあり選挙権もあるが自治は認められない。
P8130036 国連の支援で学校は小・中学校一つずつで子ども数が多く、午前午後と交代制。
女性たちの職業訓練所も訪問、そしてラマダン中にもかかわらず子どもたちが元気で屈託なく話しかけてくれる。
パレスチナの人達は、皆この現状を日本に帰ったら多くの人に伝えてほしいと言っていた。P8130037
今、お互い憎しみ合うのではなく、理解し合うためのパレスチナとイスラエルの市民レベルでの交流が始まっている。

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2011年8月11日 (木)

1945年8月6日に広島に、そして9日には長崎にアメリカは原子爆弾を投下しました。
それによって20万人以上の命が奪われ、今もなお白血病や甲状腺被害による病気を発症している人たちがいます。
ピースボートでは投下された両日、同じ時間に船の汽笛とともに黙祷を捧げました。
二度と同じ過ちを繰り返してはならないという思いとは裏腹に、世界ではまだたくさんの核兵器が存在します。
そして日本では、安全神話がもろくも崩れ去った福島第一原発の事故により、過去最悪の規模で放射性物質を流出し、被爆の被害も出ています。ここで立ち止まり、核利用、原発について考える時期に来ている。

ピースボートでは、多彩な水先案内人が乗船し興味ある講演をしてくれます。シンガポールから乗船のフォトジャーナリストの豊田直巳さん。
パレスチナやイラクなどの紛争地を巡り、マスコミでは報道されない現場の事実を報道している豊田さんは、震災発生翌日の12日に福島の郡山市、双葉町などに取材に入っている。
そこでいつもと変わらない田園風景の中で、「原発さえなかったら」と書置きを残し自殺された酪農農家がいること、何とも言葉が出ない。
まさにこれは人災だ。
また湾岸戦争で、世界で初めて使用された兵器が劣化ウラン弾。
そこから放出される放射線により、子どもたちのガンや白血病、従軍兵士達の「湾岸戦争症候群」の原因になっている事実。
どこまで人を傷つけたらすむのだろうか。

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洋上フィットネスを楽しむ

ノルディックウォーキングをご存じだろうか。
私はピースボートのパンフレットで初めて知りましたが、横浜で一人だけストックを持って歩いている人を車の中から見かけただけ。
東京の方では、公園などでやっている人たちもいるとか。

P8020132 最初はわざわざストックを買ってまでと思っていたわけですが、参加してみると腕の筋肉を引き締め、肩甲骨を意識して姿勢が良くなりそうでなかなかいい感じ。それでストックを買いました。
それにコーチの村石由里弥さんが美人で、抜群のプロポーション。
彼女はスリランカで下船しましたが、今は毎朝洋上デッキ一周が約200mを10回で約2キロを、前後のストレッチを含めて約30分のフィットネスを楽しんでいます。P8020138

美しい歩く姿勢と彼女のようなグッド・プロポーションを目指して!

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カンボジア地雷検証ツアー報告会を開催

この検証ツアーは船に帰ったら報告会をすることにして、ツアー中の夜もミーティングをして色々感想や意見交換などもしてきた。
メンバーが集まり報告会の内容を絞り込み、まずはカンボジアの国についてとポル・ポト政権を中心にした歴史、そしてツアーのテーマでもある地雷についてを色々な側面から検証、教育の大切さ、これから私たちができることなど項目立てをして、チームに分かれまとめる。
みんな若いのでパソコンはお手の物、パワーポイントを使い写真を駆使して素晴らしい報告が出来上がる。P8070150
問題は発表、最初は原稿の棒読み。もっとゆっくり、内容を覚えて感情をこめて聞かせるようにとか、色々注文を付けあいながら練習した。
私は一番の年長者として、最初に報告会の趣旨など話してみんなを落ち着かせる役回り。
みんな可愛そうなくらいに緊張していたが、ゆっくり気持ちを込めて、練習の時よりも数段素晴らしい出来栄えだった。P8070154
最後に流した力作のスライドショーも素晴らしかった!

若者たちがカンボジアに真摯に向き合い発表した報告は、多くの来場者の心を打ったのだと思う。地雷Tシャツも売れ、地雷撲滅カンパも集まった。
その日の夜は報告会の打ち上げと称し、夜中の12時過ぎまで和やかに。私もまさか船に乗ってまでマイクを持つことになるとは思いませんでしたが、すごく楽しい、素晴らしい体験ができました。
当日はカンボジアで買った民族衣装を着て。

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2011年8月 9日 (火)

ソマリアの海賊対策

インド洋の船揺れが結構激しく、船酔いで薬を飲むと睡魔に襲われ、食欲も出ない状態。
スリランカの日程が変更になり、2時間程度コロンボの街を散策して乗船しすぐに出港。そのわけは、台風の影響で出足が遅れ、アラビア海でのソマリアの海賊対策として、日本の護衛艦と合流する地点まで急がなければならないからだ。
船上での対策として、夜間のデッキは禁止、カーテン閉める、夜のフラッシュ撮影禁止など海賊にきずかれないようにする。
コンボイと言って、前と後ろに護衛艦が付きその間に船が船団をつくって航行する。デッキから見るとだいぶタンカーやら10隻以上の船が集まっている。聞くところによれば、連絡調整していない便乗組の船も一緒に航行しているとか。めったに見れない光景だ。P8070145

ソマリア沖の海賊による船舶ジャックや誘拐、身代金要求などニュースがありますが、元はソマリア沖で大企業による海産物の乱獲や有毒廃棄物や放射性のごみの不法投棄などにより、地元漁民の生計が成り立たなくなったからという背景もあるようです。

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第74回オセアニック村大運動会

ピースボートに福島県南相馬の中学生がシンガポールから乗船し、スリランカで下船するまで、もちろん大運動会にも参加し、大勢の人たちと交流、夏休みの楽しいひと時を過ごしました。P8010120

毎クルーズ恒例の洋上大運動が開催され、老若男女が誕生月で赤、青、黄、白の四チームに分かれ、応援合戦や競技に盛り上がりました。参加者同志が仲良くなる機会でもあります。
この運動会の企画、運営の実行委員や応援団長など自主的に立候補した若者たちが中心になり、チームをまとめていくのにただ感心。
年配者も団旗やはちまきづくりに加わったりと楽しそうです。P8010122

さあー!つながろう 大人も子どもも全力の輪 の合言葉で。

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2011年8月 3日 (水)

悪魔の兵器 地雷問題検証 inカンボジア

この地球上にはおよそ8000万個の地雷が埋まっていると言われているが、その中でも多いのがカンボジアで国土の46%に埋められている。この地雷のほとんどが、ポル・ポト政権下とそのあとの内戦中に埋められたもの。P7270063
現在地雷除去は国の機関であるCMACK(カンボジア地雷対策センター)が、地雷原の特定、除去、地雷啓蒙活動などを行なっている。
センターで地雷除去の状況などを聞き、実物の地雷、不発弾や写真なども見せてもらった。すべて除去するのに目標10年後としているが予算がないためあと20年か30年かかるかわからない状況とか。かなり海外支援に頼っているところが大きい。P7270059

CMACK職員の案内で3時間ぐらいかけて奥地の現在地雷除去をしている村に行く。その行くまでの道が前日に雨が降り大変なぬかるみのがたがた道で3時間ぐらいかかる。
ようやく村につくと村長はじめ村人が笑顔で迎えてくれたが、地雷原である印の赤いどくろのマークの看板がある場所と隣り合わせに生活している。男や子供の被害も多いし、不発弾の被害も出ている。

実際に地雷除去用のヘルメットとプロテクターを付け、地雷原近くまで行かせてもらう貴重な体験もできた。
地雷探知機で範囲を決めて、手作業で行う時間のかかる大変な作業だ。地雷除去活動は、定住用地、農業用地や学校用地、道路などインフラ整備のための土地を優先的に行っている。
アンコールワットも周辺は地雷原だったそうだが、世界遺産ということで優先的に除去されたそうだ。P7270064

村人たちに送られ帰路の途中で見た、カンボジアの美しい夕焼けと星空、これ以上の犠牲者を出さず一日も早い地雷除去を願いたい。
そして私たちにできることはの宿題が、重くメンバーの心に残ったと思う。P7270076

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悲しい歴史を見聞 inカンボジア

オセアニック号を下船し、ベトナムのダナン市から空路乗り継ぎカンボジアのシェムリアップに到着。
カンボジアはフランスの植民地から独立後、ロノー政権への不満から農民層を支配し出てきたのが有名なポル・ポト。1975年から1979年までの政権下で社会主義改革を強行し、それを妨害する人々、特に知識人は家族とともに捕えられ、激しい拷問を受け処刑された。P7270027
たった4年間の政権で300万人もの人々が犠牲になたと言われている。
その殺された場所が、キリング・フィールドと呼ばれ、国中にありそこから大量の人骨が発見された。その後鎮魂の意を込め寺院(WAT THMEY)がつくられている。
今、納骨堂には多くの人骨が納められ、その横の寺院の庭で小さな僧侶が仕事をしていた。P7270029
同行してくれたガイドや通訳の二人は、教育の重要さを語り、また彼らを含む今生きているカンボジア人の肉親や親せきなど、必ず誰かが犠牲になっていると。

P7270052 カンボジアには1000年前くらいの遺跡が多くある。訪れる人のためにそこの地雷は除去されているが、石塀の外は未だ地雷原。

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2011年8月 2日 (火)

地雷被害者の自立支援NGO

地雷は人を殺す兵器ではなく、傷つけ敵の戦力を落とすための兵器。そのため今は一般市民が犠牲になり、被害にあうと身体に傷を負うだけでなく、手足がないということで差別を受け仕事もなく、物乞いをするなど屈辱的な生活を強いられている人もいる。
今回訪問したアンコール障害者協会(ADD)は、地雷被害者を中心とした障碍者の社会的、経済的自立支援を行うNGOで、この団体を設立した代表のセム・ソワンタさんも元軍人で、地雷のために両足を失った。P7280106
そこでは被害者同士が共に生活し、助け合う場を作り、職業訓練も行っている。訪問した時はカンボジアの珍しい楽器による演奏を聞かせてくれた。また仏像や木彫りの作成作業も熱心に行っていた。
その作品や演奏なども収入源となっている。P7280103

私も絵を一点買い求めた。皆さんとしばらく交流し別れた。
ピースボートも支援団体となっているが、まだまだ支援の手が足りないのが現状だ。代表の使用している車椅子は日本からの寄付だった。

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