ビキニ被爆者が集団訴訟
ピースボート乗船中に、水先案内人でジャーナリストの高瀬毅さんから1954年、太平洋・ビキニ環礁で米国の水爆実験に巻き込まれ、「死の灰」を浴びたマグロ漁船第五福竜丸の話を伺った。
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ピースボート乗船中に、水先案内人でジャーナリストの高瀬毅さんから1954年、太平洋・ビキニ環礁で米国の水爆実験に巻き込まれ、「死の灰」を浴びたマグロ漁船第五福竜丸の話を伺った。
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憲法で禁じられている集団的自衛権を行使できるよう、安倍政権は公明党をまきこみしゃにむに閣議決定を迫っている。
あらためて憲法9条を見てみたい。
一日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を
解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
二前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
この憲法無視し、仮想の敵をつくりだし安倍首相は子どものように戦争ごっこをしたいとしか思えない。
もし集団的自衛権の行使が必要というなら、堂々と憲法改正をすればいいわけで、この重要な問題を与党協議で決めようとするなどまさに
国民不在としか言えない。
今、戦争への道を突き進む政府の暴走を阻止し、平和に生きる権利を守るための運動「戦争をさせない 1000人委員会」が立ち上がりました。
各地でも1000人委員会立ち上げの動きが出ています。
このままだと、子どもたちが徴兵されるかもしれない、子や孫を絶対に戦争に行かせないために女性達もたちあがろう!
今気になるのが、全国の自衛隊の駐屯地が子どもたちの「学びの場」として、身近になっている事だ。震災などの災害で献身的に救助する
自衛隊員が報道されたこともあるようだ。
しかし今の国の動きを見ると、自衛隊の位置づけが変わるかもしれない。単なる職場、進路選択の参考ではすまなくなるかもと危惧する。
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明日横浜港を出発する第74回ピースボートで「世界を写そう、私たちは貧困を終わらせる」と題した写真展が開催されている。
出港前に行われる船内見学会でも大勢の人たちが写真展に訪れたとか。私も3年ぐらい前、いつかピースボートに乗ろうと見学会に出かけ、船旅を想像しあたためていたものです。
今回その船旅が実現し、この環境を与えてくれた夫をはじめ家族や友人たちに感謝の気持ちでいっぱいです。
今回、写真展はNGO「ピースボート」の「オセアニック号」の船内に掲示され、10月に帰るまで寄港した何か所かで写真展が予定されている。
そのピースボートに運良く乗船するので、ゆっくり写真展を見るつもりです。
今回の旅行では、まずカンボジアで今なお「地雷」の被害を受けている市民、地雷撤去の活動など見たり、パレス難民キャンプ、環境フォトジャーナリストの藤原幸一さんが取り組んでいる、ガラパゴス森再生活動に参加、自然遺産第一号に登録された島が、原生林が激減し固有の生き物たちの生存が危ぶまれ、危機遺産となっている現状などを見てきます。
なんと100日間、船の生活も結構楽しそうです。
そんな様子なども、ブログで報告できればいいと思っています。
写真は、わがミニガーデンに咲いている花ですが、主がいなくなった後どうなるか若干心配ですが、まあーいいか。
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11月1日、第59回横浜市戦没者追悼式が三ツ沢公園内の横浜市慰霊塔前広場で挙行されました。
この行事は横浜市健康福祉局の主管ということで、その常任委員としてはじめて追悼式に参列させていただきました。
横浜市の慰霊塔は昭和28年3月に竣工されたもので、慰霊塔は2基の塔と戦没者名簿の安置室からなっているそうです。
慰霊塔の左側の塔は上部を欠いて、「昭和二十年」の文字が刻まれています。大戦で大きな犠牲を払い混乱した過去の日本の姿を、右側の高くそびえた塔は将来に向かって発展する日本の姿を現したものだそうです。
各18区のご遺族の皆さんが多数参列されていますが、皆さんだいぶご高齢で戦後65年の年月を感じます。
帰りのバスの中の会話で、「どちらに行かれてたんですか」「南方です。」「遺骨箱には何も入っていませんでした」うちは「砂が入っていました」と、最愛のご家族を失ったご遺族にとってはまだ戦争は終わってないような気がします。
このような悲惨な、家族を悲しませるような戦争は二度と繰り返してはならない、平和への思いを新たにしました。
私の父も中国方面に行っていたようですが、日本に帰ってきて軍人手帳を燃やしてしまったそうです。父の気持ちが伝わってくるようです。
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今年は終戦65年を迎えます。
65年前の8月6日、9日、広島と長崎に原子爆弾が落とされ、一瞬のうちに多くの尊とい命が奪われ、まちは破壊されました。
そして今でも、全国に約22万人の被爆者がおられ、後遺症に苦しんでいる方もいます。
唯一の被爆国日本の広島、長崎から世界に向け、原子爆弾のむごさを、その惨状を世界に伝え、語り部が語り伝えています。
昨年4月、オバマ大統領は「核兵器のない世界」に向けて行動すると表明しました。
その理由はともかくも、ブッシュ政権下で進まなかった核軍縮、核不拡散の道がみえ始めてきたかのように見えます。
今年の広島、長崎の平和記念式典には、アメリカを始め核を保有する英、仏の大使も参列しました。
原爆投下から65年経ち、ようやく世界の流れが核廃絶に向け動き出したかのようです。この機運をさらに加速させ、「核兵器のない世界」「核兵器禁止条約」に向け唯一の被爆国日本の役割は大きいと感じます。
そして横浜市も国連が認めるピースメッセンジャー都市として国際平和へ貢献してきています。しかし昭和57年に広島市長が核兵器廃絶に向けた国際的な都市連携を呼びかけた、平和市長会議には加盟していず、気になるところでした。
この平和市長会議の加盟国135カ国、市長の数は4000人に上るそうです。
ようやく横浜市も、今年2010年に平和市長会議に加盟をし、横浜からさらに世界の平和の実現に向けてアピールしていかなければ。
戸塚でも9日には、地域で活動している人たちが集まり、憲法9条を守り、核兵器廃絶の草の根の活動を進める宣言と共に、ピースウォークを行いました。
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戦争や人権侵害などの社会問題を扱う月間報道写真誌「DAYS JAPAN」(広河隆一編集長)をご覧になったことがありますか?
マスコミでは報道されない、世界で起きている紛争の悲惨な状況、人間の命が奪われ続ける実態を直視し、世界に伝える重要性を考え、その真実を伝えるために創刊された写真誌です。
2004年に報道写真家の広河氏が創刊し、フォトジャーナリストの作品を掲載、様々な賞も受賞されています。
2007年に「第3回DEYS国際フォトジャーナリズム大賞」の受賞作品を発表した写真展「地球の上に生きる2007」の横浜の赤レンガ倉庫での開催時に見に行きました。
その作品を見たときの衝撃は忘れません。
今その写真誌「DAYS JAPAN」が経営難に陥り、「存続キャンペーン」を続けていることをニュースで知りました。
窮状を知った500人を超える新規定期購読者が集まり、年越しはできたもののその後の存続に、まだめどは立っていないという事です。
命がけで危険な現場に行き、まっすぐに向き合い真実を伝える報道、そのような写真誌の存続を願い購読を申し込もうと思っています。
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戸塚区戦没者慰霊祭に出席し、ご遺族の方がたと英霊の御霊に献花し、平和を誓いました。
終戦から64年と言う年月が過ぎ、悲惨な戦争を経験し、それを伝える方が少なくなってきています。
11月12日の天皇ご即位20年を前に、天皇は戦争に至った歴史が風化していくこと、過去の歴史が忘れられていくことを懸念されているとお話されています。
又、過去の歴史的事実を十分に知って、未来に備えることが大切とも言われています。
私たちは子どもたちに、歴史の事実を伝え二度と戦争は起こしてはならない、平和の大切さを伝えていく役割があります。
横浜市は来年から18区中8区で「新しい歴史教科書をつくる会」が編集した教科書が中学校で使われます。
この歴史教科書は、歴史的事実を十分伝えているとは言いがたい教科書です。
また2011年からは横浜市は教科書の1本化も決まり、この教科書が全中学校で採用されるのではないかと言う危惧を持っています。
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女流講談師、神田香織さんの講談「悲しみの母子像」を聞きました。
神田さんの講談を聞くのは、ソ連の原発事故「チェルノブイリの祈り」と2回目です。
この創作講談は、32年前に米軍ジェット機が横浜市青葉区(旧緑区)の住宅街に墜落して、母と2人の幼い子どもの尊い命が奪われた事件がテーマで、ご記憶のある方も多いと思います。
神田さんは、娘さんを亡くされた土志田さんから、講談にしてほしいという希望もあった事から、事故現場をはじめ、資料や聞き取り調査をして完成させました。
土志田さんが建てられたブロンズ像「愛の母子像」は、横浜の港が見える公園に設置されています。
神田さんの講談は悲しい。米軍機が墜落した住宅街は瞬く間に火の海と化し、そこに自衛隊のヘリコプターが救助に来たと思いきや、米軍のパイロットだけを救助し飛び去ったこと、そのパイロットが救助された時に、にこっと笑ってVサインをしたことなど、言いようのない怒りがこみ上げてきます。
神奈川県は沖縄県に次ぐ基地県です。
昭和27年から平成19年までに、何と神奈川県で起きた米軍機墜落は62件、不時着は54件にも上ります。
本当に米国によって日本は守られているのでしょうか?本当に安全と平和のために基地があるんでしょうか?
今回の講談会を主催した特非法人WE21ジャパンは、あえて基地のある大和で講談会を開催しました。
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2001年9月11日、飛行機がビルに突っ込む、まるで映画を観ているようなシーンが飛び込んできた記憶がよみがえります。
7年前アメリカを襲った同時多発テロで約3千人の犠牲者がでました。
それからアメリカは、テロ首謀者、テロの支援組織を破壊するために多国籍軍を編成し、アフガニスタンへまさに報復の攻撃を開始したのです。
これまで罪もないアフガニスタンの多くの市民が犠牲になり、4000人以上の米兵も死亡するなど多くの犠牲を払ったテロとの戦いは泥沼化し、治安は悪化しアフガニスタン復興に深刻な影響を及ぼしています。
そのアフガニスタンに日本の青年、伊藤和也さんがNGOのメンバーとして入り、荒廃した土地に用水路をつくり、食料を確保するために田畑を復興する農業支援に頑張っていました。
その伊藤和也さんが、彼が愛するアフガンの地で銃弾に倒れなくなりました。
なんとも悲しい出来事であり、怒りを覚えます。この事件は両国にとって、いや世界にとって大きな損失です。
伊藤さんがアフガン活動中に撮った写真、「菜の花畑で笑う少女、収穫した大きなサツマイモを誇らしく見せている少年、農作業を手伝う子ども達」がすばらしく、あたたかく心を打ちます。
子ども達の表情から、いかに伊藤さんが信頼され、現地の人達に溶け込んでいたかがわかります。
伊藤さんの死を無駄にすることなく、彼が願っていた平和が早くアフガニスタンにおとずれることを願わずにはいられません。
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